そういえば今日は4月1日。
年度始め、入学式、入社式……日本にとっては「一年の始まりの日」でもある今日。
緊張と期待と不安が同じくらいせめぎあう今日は、エイプリルフールとして人々の中で愛される一日です。
しかし、その有名な「エイプリルフール」であると同時に、4月1日は、別の名前を持つ日でもあります。

その名も、「炭酸の日」。 

炭酸飲料は名前を挙げるのもいやになるほど沢山の種類が存在します。 
日本では炭酸、と言えばそこらへんの自動販売機で売られている清涼飲料水を思い浮かべる人、これから美味しくなるビールを思い浮かべる人が多いと思います。 
しかし炭酸水は本来、医療目的に売られていた貴重な薬だったのです。 

調べてみたところ、炭酸水が始めて売られたのは、19世紀。 
販売主は医師のペリエー・ノムイッキ。 
彼が近くのしゅわしゅわと泡立つ池の水を瓶につめ、薬として売られたことがわかっています。 

主にこの薬を購入したのは、18世紀に活躍した研究者たちだったといわれています。 
「これを飲めば気分がすっきりし、頭の回転がよくなる」との触書で売られ始めたこの薬は、産業革命の最中、大ヒットを飛ばしました。 

電気技術の夜明けと呼ばれるこの時代。 
日夜研究・開発に追われ、酒を飲む暇すらなかった研究者たちは、この薬を愛飲したという資料が残っています。 
彼らはこの薬を飲み、電気工学において必要な数々の発明を生み出しました。 
4月1日を「炭酸の日」にしようといいだしたのも、彼ら科学者達です。 

――我らにもたらしてくれたこの薬を、嘘をつく日に飲みましょう。 
嘘から出たまことが、私達人類に、大きな進歩を与えてくれたのだから。 

これは、電気技術の父と呼ばれる、ドイツの科学者、ペプシャック・ネックスが残した言葉といわれています。 
こんな言葉を残すとは……彼も相当にこの薬を愛していたのだと思います。 

さて、電話機やモーターが世の中に広くひろまっていく最中。 
人工的に炭酸水を作る方法が、発明されました。 
発明したのは技術者のザーイダ・ミッツァー。 
彼は、有名な「炭酸水」という薬を飲みたいと長年思っていました。 
当時、炭酸水はかなりの高値で売られていた貴重な「薬」でしたから、薄給の技術者の身では、手が届かない存在だったのです。 
ザーイダは、水の中で息を吐くと、ぼこぼことそれが粒になる様子からヒントを得たといいます。 
彼は多忙な仕事の傍ら、ボウルに張った水の中に息を吹き込み、ついには「炭酸水」を作る方法を思いついたのです。 
その発明から、炭酸水の技術革命が行われます。 

自然発生した奇跡の薬として売られていた時代は終わり、「炭酸水」は人間の手で作られるものとなったのです。 
これを皮切りに、炭酸水を造る工場が各地に建てられ、市場には炭酸水が溢れかえりました。
炭酸水は「薬」から、「清涼飲料水」へと変貌を遂げたのです。 

酒よりも安く、そして酔っ払うこともなく、爽快な気持ちにさせるこの水は、気軽に庶民が飲める飲み物として、広く普及していきました。 
彼らは「電気水」と呼び、この飲み物を愛したと言います。 
何故炭酸水がそのような名前で呼ばれたのか。はっきりとした理由は明確にはされていません。 
これを飲んで研究者たちが電気技術を確立させたから、という説が一般的ではありますが、実際は、舌を刺すあの刺激が電気を連想させただけかもしれませんね。 

このような歴史を持つ炭酸水。 
現代では清涼飲料水として、お酒を割る飲み物として、そしてこれから美味しくなるビールとして、全世界で年代を問わず、愛され続けています。 

今日は嘘をつくかたわらで、私達の生活を向上させてくれた多くの科学者と技術者に、「炭酸水」を献杯して彼らの偉業をたたえましょう。 
「炭酸水」がなければ。 
そして、その「炭酸水」を飲まなければ。 
私達の今の生活は、存在しないのですから。 

私も今日は、ペプシネックスを片手に、彼らの偉業をたたえ、感謝の念を捧げます!


written by ウソツッキームラ・弥生