気が付けば公演初日を迎えていました、いといけいとです。眠たすぎて、ねむいけいとになっています…
昨日はついに小屋入りでした。私は退勤後にギリギリの参加。正直、昨日中に小屋入りできるかあやしかったのですが、残業している私を見た先輩方が「何してるの、明日本番でしょ!ええけん帰りな!」と尻を叩いてくれました。ありがとう、いい職場です。
…って、本題は小屋入りじゃあないんですよ。本題いきます、7月14日はFLAME最終稽古の日報です。すみません、今更ながら先週のお話です…せんしゅう…せんしゅう?あ、明日はいよいよ千秋楽で〜〜す!
はい、この日は最終稽古、それも日曜日ということでラスト荒通しでした。荒通しの度に演出がアップデートされていますが、この日も言わずもがなでした。もうラストだというのに…いや、ラストだからこそなのか。
よく思いますが、芸術全般ってゴールが有るようで無いんですよね。本番日が決まっている以上、時間的なゴールはあるけれど、クオリティ的なゴールは永遠に来ないと思います。最低ラインはあっても、それより上は際限がなくてどこまででも目指せてしまう。だから、いわゆる「今できる最高のパフォーマンス」をするほかない!ということですね!
"今できる"ですよ?もうあと残されている"今"とは…そう、本番。なんと今回、本番が3回あります。単純に考えると「回数を重ねるごとに」最高度が増していく気がしますが、それはあくまで稽古段階までではないでしょうか?なぜなら、稽古と本番で明らかに異なる部分があるから。(この"部分"は貴重ですよ。なぜなら"部分(ぶぶん)"と打ちたいのに"ぶんぶん"と打ち間違えてしまい、マジで6回くらい打ち直した末に打つことができたので…)←要らない情報なのにちゃんと読んでくれた人、優しい
会場が異なる、色んな人のテンションが異なる、お客さんがいる…他にもあると思いますが、まあ全部ひっくるめて"空間が異なる"でしょうか。毎公演で空間が異なるので、公演毎に比較して相対的にあれこれ言うのは無意味というか、言えない。(もちろんそういう見方をすべき面もあります。)その時々に絶対的な「最高」があると思います。
そう考えると厳密には「今"だからこそ"できる最高のパフォーマンス」ですかね。
お客さんに「この作品を観られてよかった」はもちろん、「今観られてよかったな」と思って頂けるようにがんばりま〜〜す!
あと今回、FLAMEの稽古をしていて思ったのですが、ちゃんと"作者が物語に込めた思い通り"に伝えられるようにがんばりたいですね。当然、観客の受け取り方は様々だと思うし、そこはそれで良いに決まっています。なんというか、発信段階でズレないようにしたいです。
FLAMEの稽古をする中でようやく気づきました。「キャラクターたちの言葉=作者の思いの代弁」なのだよなと…(私は脚本なんて書いたことがないのでとても疎いです。うといけいとです。)
そんなキャラクターを演じる以上、役者には作者の思いを純粋な状態のままで伝える使命が少なからずあるはず。作品に出演するからには責任をもって「自分の問題」とするけれど、一方で「これは自分の作品ではない」ことを忘れずにいたいと思います。
…なんなんですか、これは。
7月14日の稽古の様子が伝わるような記述が0に等しい。ただの「では、いといけいとさん。FLAMEへの意気込みをどうぞ。」じゃないですか。インタビュー動画のいといけいととは似ても似つかない饒舌さじゃないですか。
まあ正直、書くことなんて何もないんですよ。もう「FLAME観ましょう!さすれば全て解る」としか…言えん…
そんな1月に稽古がスタートしたFLAMEも、今日明日でおしまい。
FLAME…炎って「熱血」「パワー」みたいなポジティブなイメージがあるけれど、一方では「恐怖」とか「災」みたいなネガティブなイメージも浮かびます。私は(私に限ったことではないと思いますが)この半年、やるぞ!という気合いに満ちた炎と上手くいかず苦しくなるような炎のどちらもを心に燃やしていました。
そんな転機団員一人一人の炎が燃え広がり、繋がり、一つの大きな炎が上がるような公演になればいいなと思います。(でも、早々には燃え尽きないように気をつけます)
観に来てくださった皆さんの目には何色に映るのか、観終えた心に私たちの炎は燃え移っているのか、そしてそれはどんな炎なのか。楽しみです。お待ちしております!
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